『そば』は実に不思議な食べ物である。どこにでもある駅の立ち食いそばから、玄そばの産地から練り込む水にまでこだわりにこだわった手打ちのお店まで本当に幅広い楽しみ方のされている食べ物である。考えてみれば、こんなに単純で素朴な料理も珍しいであろう。
『そば』という、かつては味というよりむしろ空腹をいやすための救荒作物であったものを、粉にして、練り、切り、茹で、そしてこれまた非常にシンプルなつゆでいただく、なんと基本的な食品であろう。実際、現在でもチベットの山奥ではそばがきに似た食べ物を主食としている部族もいるくらいである。しかしこのそばの世界の奥の深いことといったら…。
よくそば屋の主人が言う「そばは単純だからごまかしがきかない。だからこそ難しいし、だからこそおもしろい」との決め台詞は、何度聞いてもそば通の心を熱くさせるのである。
『そば』はまた文化の香りのする食べ物である。日本の各地に様々なそばの食べ方が存在する。北は青森の津軽そばや岩手のワンコそばから始まって、新潟のへぎそば、我が信州そば、そして京都のにしんそば、さらに西にいって兵庫の出石そば、島根の出雲そば、鹿児島は薩摩そばと実に多種多様である。それぞれに歴史があり、土地の文化を映しているそばである。
しかし、なんといっても忘れてならないのは、江戸文化の結晶たる江戸のそば。そばがここまでその奥義を極めようとするいささか禁欲的な感じさえする高尚な(?)食べ物になったのは、正に江戸の下町文化が生んだものなのである。
さて、そんなそばの世界の奥深さの一端に少しでも興味を抱いて頂ければこれ幸い、これからの貴方様の「そばライフ」がより豊かなものになるよう願いを込めて。