奥義 霧しな流 そばの道
奥義 霧しな流 そばの道


第3章◆背筋を正して 食べ方編
そばの食べ方のうんちくあれこれ。

 「そばは粋な食べ物。」なんて言われて、昔から落語の題材にもなっているそばの食べ方ですがこれに正統派食べ方なんてあるのでしょうか?この問題は実は昔から様々な論議のあるところでして、古くは江戸時代にまでさかのぼるようです。《蕎麦切りなど男のように、汁をかけくふ事有るべからず。素麺のごとくくふべし。からみ(辛味、ショウガ、ワサビ、からし)くさみ(臭味、ネギ)など、必ず汁へ入るべからず》といった記述が一六九二年(元禄五)の『女重宝記』にあります。当初、もりそばのみであったそば切りに「えーい、面倒だ。」ってんで生まれたのがかけそば。しかしこの頃は女性はそんなはしたない事をしてはいけないといった戒めがあったようです。
 さて落語の世界には有名な「一度死ぬ前に、おつゆにどっぷりとそばをつけて食いたかった。」という下げがありますが、江戸の頃は「つゆにはチョッとつけて食べるのが粋。」という通念がありましたのでこんな下げが生まれたのです。またその当時は今よりももっと辛汁(からしる、からむつゆ)の味が濃く、そんな点もこのスタイル確立に一役買ったと思われます。今でも老舗のおそば屋さんではかなり濃いつゆをだしていますので、やはりそば猪口にどっぷりとつけこんでいただくっていうのはちょっと不粋ではないかと思うのは私だけでしょうか。
 またもう一つの粋な食べ方の通念に「噛まずにすすりこんで、喉の奥で味わうんだ。」というのがありますが、こちらはどんな所から生まれてきたのでしょう。夏目漱石の『我が輩は猫である』の一説にもこんな場面が登場します。《この長いヤツ(そばの事)へつゆを三分の一つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない、噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところが値打ちだよ。》ここでもやはり“飲み込む”ことが粋ってことになっていますが、これを実行してみて「こりゃ、うまい。」と思うにはかなりの熟練が必要のようです。要は蕎麦の香りを存分に味わえばいい、ということではと私なりに解釈していますが皆様はいかがお考えですか?かの柳家小さん師匠もいつもは落語家らしくスルスルと喉の奥にすすりこんでいてもテレビのインタビューに対しては「そりゃあ噛んだほうがうめぇですよ。」と答えたっというのですから、あんまりスタイルにこだわり過ぎるのも考えものですよね。
 もうひとつ、「そばの国」の人か「うどんの国」の人かを判断する方法をお教えいたしましょう。それは、麺を食べるとき、麺を入れた容器、つまり丼や猪口に口を近づけて食べるか、それとも麺を箸でつまみ上げて口にいれるかの相違なのです。小さい頃から食べていた汁の濃度によって培われた麺の食べ方が自ずとでてきてしまうからおもしろいものです。つまり、丼から麺を汁といっしょにすすり込むのは「うどんの国」の人であり、汁からつまみ上げて食べるのは「そばの国」の人なのです。うどんの国では汁の味が薄いため、麺にも味が乗らないので当然汁と一緒にうどんをすすりこみますが、そばの国の人は汁は付けて食べます。「飲んじゃあ辛いが、食っちゃあうまい。」ような味に仕上げてあるので、おいしくいただくには飲んではいけないのです。その代わりに最後にそば湯を差して薄めて飲むのでしょう。なかなかおもしろいものです。一度、会員の皆様もおそば屋さんに行って、周りのお客さんを眺めてみてはいかがですか?「あっ、あの人はおそらくうどんの国のご出身だろう。」なんて想像がつくかもしれませんよ。おっと、その前にご自分の食べ方を翻ってみて、もう一度自分のルーツを確認してみるのが先かもしれませんね。

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