妻の神



 むかしむかしの話。天文のころというから、今から四百五十年も前のことだ。室町幕府の勢がだんだん衰えてきたので、地方では豪族が、力をほしいままにして、国々が乱れはじめていた。が、この美濃の国の阿木のあたりは、まだ平和でのどかな日々がつづいていた。
 ある日、阿木から岩村へ越える坂のあたりの道端に、一人の娘が倒れるようにして休んでいた。上州安中の豪族の娘で、関東でも大乱が起って、安中もその戦にまきこまれ、豪族は土地も家も失い、家族もほとんど亡くなった。難をのがれてただ一人生き残った娘だった。長い間、音さたなかったが、一人の兄が京に上って修業していた。その兄を頼ろうと、ようやくここまで来たが、病弱の上に慣れない一人旅の疲れで、もう歩くこともできなくなっていた。
 娘は、安中によく似た、静かで平和そうな、この阿木の山里を見ながら、「さて、これからどうしたものか。」と、思案にくれているところだった。すると、野良帰りの老夫婦が通りかかって、
「もし、どうかなされたか。」
と、声をかけてくれた。娘はようやく体を起しながら、事の次第を話した。
「それはお気の毒な。心は先へ急ぐでしょうが、体が何より大事。少しここで休んでゆきなされ。」
と言って、小屋をかしてくれた。娘は親切な老夫婦に助けられて、しばらくここで暮らすことにした。それにしても、知らない土地での一人暮しは、大変だった。
 寒い風の吹く夜など、楽しかった安中のくらしのこと、戦に亡くなった父母のこと、京に上って帰らない兄のことなど思い出されて、早く病気をなおして京に上りたい、そして兄に合いたいと、しきりに思うのだった。
 そんなある晩、とんとんとんと戸口をたたく者があった。こんな夜更けに誰だろうと思っていると、
「お頼み申す。お頼み申す。」
と言う。戸を少しあけてみると、一人の旅人が立っていて、
「旅の者だが、一晩の宿をお頼み申す。」
と、言った。娘は、あまり突然のことであり、粗末な小屋だし、困っていると、また、
「迷惑でしょうが、お頼み申す。実は、京からの急ぎの旅で、疲れはててしもうた。一夜の宿を、」
と言う。「京からの旅」と聞いた娘は、「ひょっとしたら京の話が聞けるかもしれない。」と、思ったのでしょう。
「こんな粗末な小屋ですが、よろしかったら。」
と言って、とめてやった。
 翌日になって、娘がゆうべから考えつづけていたこと、京のことを尋ねようと思った。
「京からの旅とお聞きしましたが。」
と言いかけると、男は、
「さよう、拙者は上州安中の者だが、長いこと京で修業しておった。風のたよりに、関東で大乱が起り、安中も戦場になったと聞きましてな。急いで帰るところや。やっかいをおかけ申したな。」
と言う。
「それでは、若しや兄さんでは。」
 娘は思わず口走った。そして、よくよく話してみると、幼いとき別れたままの兄だった。娘は、安中の戦のこと、兄を頼ろうと思って、京へ上る途中、病気にかかり、やむなくここで暮らしていること、一部始終を話した。
 兄妹は、夢のような思わぬめぐりあいを喜びあった。そして、早く安中に帰り、家の再興をはかろうと誓いあった。だが、思いがけない兄との再会に、安心したのでしょうか。娘は、急に病が重くなって、亡くなってしまった。兄もまた、旅の疲れや気づかれに、妹の死の悲しみが重なったのか、つづいて亡くなった。
 村人たちは、遠い故郷の安中へ帰ることもできず、また家の再興を夢みながら、遂に果たすこともできず、若くして亡くなった兄妹を哀れんで、二人を同じところに葬り、小さな祠を建てて祭った。これが今の妻の神の社だ。
 黒田川にかかる塞之神橋を渡って、坂道を少しのぼると、右側に妻の神の社がある。この社に願いごとをかけてお参りすると、霊験があるということで、今でもお参りする人が多いということだ。

文・大島 虎雄
絵・加藤 公雄

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