寺川の橋
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まごめは、むかし、中山道といって、旅人がたくさん通った。
また、島崎藤村の生れたところで、いまは、藤村記念館がある。
まごめのバス停から少し、石や坂を登ると永昌寺があり、そこには、島崎藤村のお墓もある。
その永昌寺へ行く道を、寺道という。川があって、橋を渡らないと、お寺へは行けない。いまは、コンクリートの道になっているが、むかしは、寺川に丸木橋が かかっていたそうだ。
そして、雨が降るたびに 流れてしまうので、お寺参りの人や、百姓の人は大へん困っていた。
その川に、一晩のうちに、石の橋が出来てしまって村の人たちは、びっくりしたという、おもしろい話が残っている。
むかし、まごめ村に、鬼助と彦七という力の強い男の人が住んでいた。
毎日、力じまんをしては、村の人に、いばって話をしていた。ある日、彦七が
「おい、おい、鬼助、きょうも力くらべをすることはないかい。うでがなるぞ。」
と、鬼助の家へ、遊びに来た。
二人は、うでぐみして、しばらく考えこんでいた。
すると鬼助が、
「しめた、良いことを、思いついたぞ。」
と、立ち上った。そして前を指さして
「あの寺川に、石の橋をかけまいか。」
「どうだ彦七、村の人は、雨が降るたびに、橋が流れて困っておる。おれたちの力で、雨が降っても流れん石の橋をかけまいか。」
「それは、いいことだ鬼助、早くべんとうを作ろぞ。」
と彦七は、べんとうを作った。
二人は、さっそく、べんとうを持って、石さがしに出かけた。
あっち、こっちと、さがし歩いたが、橋になるような 大きな平な石は、見つからない。とうとう、お昼に なってしまった。
彦七が、
「ああ、くたびれた、はらへった、いっぷくするか。」
と、いって、二人はべんとうを食べた。
しばらくして、鬼助が、
「こんどは、大戸の方へ、行ってみるかい。」
と いって、また、石さがしをはじめた。
※大戸…… ぼんでん山のむこう、石のやじりが出る。
大戸へ行ってみると、石が、いっぱいあった。
二人は、どれにしようかと、まよってしまった。
鬼助が、
「おい、彦七、おまえ、この 大きな石をしょえ。」
と、大きな石を しょわせた。そして、自分は、それより少し 小さな石を、かついだ。
そして、また、鬼助が、
「おい、彦七、どんね、えらくとも、えらいの『え』と、いったらまけだぞ。」
と、いった。
七彦は、まけてなるものかと、だまって歩きはじめた。
はじめは、かるそうにかついだ彦七も、だんだんと苦しくなって来た。お寺の坂道へ来た時は「はあ、はあ」と、苦しくなって、体からは、玉の汗がボタ、ボタと 落ちて来た。
彦七が
「おい、鬼助、足がふわふわして来たぞ。」
といった。
今度は、鬼助が
「おい、彦七、なんだか、向こうが、かすんで見えるよ。」
といった。
でも、二人は「えらい。」といわずに、だまって歩いた。
どっちも負けたくないので、夕日が沈みかけたころ、二人はよろよろしながら、寺川まで、石を運んで来た。
それから、二人は、力をあわせて寺川に石を渡して橋を作った。
村の人は、朝になって、丸木橋が石の橋に変わっているので、びっくりした。
月日が、たっても、くずれない立派な橋が出来て、村の人は、毎日、安心して通れる橋が出来たので、鬼助と彦七に感謝したという。
文・鈴木 佐代子
絵・藤原 梵