馬魂鎮 |
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苗木城の西の方に、木曽川と付知川にはさまれた台地が広がっていて、津戸といった。そこには昔から街道が通っており、木曽川の渡しがあった。
古い街道は鎌倉街道で、津戸のまん中を横切り、けわしい岩山を下って、木曽川の渡しに出ていた。江戸時代には並松が原から津戸の西はしに向って、南北街道が通り、急な岩山をおりて、木曽川を渡り坂本村へ出ていた。
明治の初めでも、木曽川の近くは深い山で、うっそうとした竹やぶがあちこちにあって、街道わきには大木もしげり、昼でもうす暗くさみしいところだった。
ときどき狼が出てくる山里で、家も、七、八けんしかなかった。その中に、一けんだけ、『岩井屋敷』とよばれる大きな家があった。南北街道のそばにあって、屋号も『大家』といった。大ぜいの作男や下女をつかって、百姓仕事をさせ、家畜もたくさん飼っていて、大へんなおだいじんだった。
ある日、主人は作男に、近くの下手が原へ行って、山草をかるようにいいつけた。作男は、一番力の強い馬のアオを引き出して、馬の背に木のくらをつけ、いつものように鈴もつけて、シャンシャンと山草がりに出かけて行った。
ところが、その日、夕方になっても帰ってこん。家の者は心配して、戸口を出たり入ったりして待っておった。
やがて、人の顔もうすぼんやりとしか見えんほどになったころ、シャンシャンと鈴の音がしてきたので、やれ、ぶじに帰ってきたと、よろこんでとび出て見たが、アオの姿しかよう見えなんだ。
作男は、アオの後ろからくると思って、すかして見ておったが、いっこうに人影は見えなんだ。アオは利口な馬やで自分でさっさと帰ってきたものと思って、家の者は、「ああアオか、よう帰った。」
といって、そばへよっていった。ところが、おどろいたのなんの……。
「だ、だ、だんなさま、アオが、アオが、うでをくわえてきました。」
主人は、びっくりして、奥からとび出してきて、アオのくつわをつかんだ。くわえてきた物をつかもうとすると、アオは、ヒヒーンといなないて、顔を下手が原の方へむけると、カッ、カッと、ひづめで土をけちらしていた。
主人は、たいへんおこって、馬のくわえてきたうでを引っぱると、アオはおとなしくそれをはなした。そしてまた、ヒヒーンヒヒーンとないて、カッカ、カッカとひづめをならして、おどくっておった。
主人が取りあげたうでを明りにてらしてみると、まぎれもなく作男のうでで、まきついていたやぶれ布は、けさ着ていったはっぴのそでだった。主人は、元郷士で、明治になる前までは殿さまにつかえた武士だったので、人の道にはずれたことはゆるせなんだ。
「いくらわしのかわいい馬でも、人間をくいころすなんてゆるせん。やっぱり畜生か。このかん馬めを、生きうめにして、思い知らせてくれる!。」
と、カンカンにおこって、作男たちに、きつく言いつけて、竹やぶのそばの畑のすみに、馬のすっぽり入る穴をほらせた。
その穴へ、あばれるアオを、作男たちに言いつけて、引きずりこみ、たたきおとして、馬の首だけ出して、生きうめにしてしまった。アオは目にいっぱい涙をためて、ヒヒーンとかなしげにないては、家の者の行く先をじっとみつめておった。
それから、七日七夜、みんなは作男をさがしつづけた。その間じゅう、アオはかなしげに、ヒヒーン、ヒヒーンとなきつづけ、そのなき声は、日一日と弱まっていった。七日目の真夜中になってもまだかすかになきつづけていた。
八日目の朝、アオは、顔を西の方に向けて死んでおった。
その日、狩宿のりょうしが、えものを追って、つい品の字岩の方へ迷いこんだら、木曽川へつき出した大岩のわれ目に落ちて、死んでいる作男を見つけた。そばには、アオがつけていた木のくらが落ちていて、狼がキバでかみくだいたあとが、そこらじゅうについておった。
そのことがあってから、いく日かたったある日、津戸の若者たちが、二、三人でとびの巣のへんで、たき木を切っていたら、狼の群がおそいかかり、一人が鉄砲を持っていたおかげで、追いはらうことができて、ほうほうのていでにげかえってきた。
それからまたしばらくしたら、日がくれて南北街道を通っていた村人が狼におそわれ、血だらけになって、近くの人家ににげこんで助けられた。それからも狼におそわれる者が、でるようになった。
そのころから、南北街道を日がくれてから通ると、風の音にまじって、シャンシャンという鈴の音と、ヒヒーン、ヒヒーンと、かなしげになく馬のなき声が、どこからともなく聞こえてくるようになった。空耳かと思い、聞き耳を立てると、はたとやむが、歩き始めると、また聞こえてくる。そのなき声は、どこまでも追ってきて耳の底をはなれなかった。
村人は、誰いうとなく、アオは利口で強い馬だったから、作男が狼におそわれたことを主人に知らせるために、狼をけちらして、うでをうばってきたのだというようになった。
アオの本当の心を知った主人は、自分のしうちをくやんでもくやみきれなかった。主人はねんごろにアオの供養をして、石碑を立ててやり、朝晩、家の者たちでおがんで、アオのめいふくをいのった。年に一度、春にはおまつりをして魂をなぐさめた。
それからあと、ピタリと、鈴の音も、馬のかなしげななき声も、誰にも聞こえなくなったということだ。
文・青山 のぶ子
絵・吉村 茂夫
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