はだか武兵



 むかしむかし、中山道すじの「うぬま」というところに、はだか武兵という男がおった。わかいころはたいへんな酒ずきでな。あんまり大酒飲んで、らんぼうするもんで、近所の人びとにきらわれて、とうとう家におれんようになってしまったんや。それで、東海道の雲助になってな。何年かたってから、中山道の中津川の宿場に来て、茶屋坂というところに、小屋を建てて住むようになったんや。
 武兵は、生まれつきの力もちでな。そのうえ、どんな寒いときでも、はだかでおったもんやで、木曽街道の雲助の仲間から「はだかの兄き」と言われておったそうな。
 あるとき、武兵は、木曽へお客を運んで行って、帰りに日がくれてしまったもんで、木曽街道の須原という宿場の、神社の拝殿にとまったんや。そのときに、白いひげのじいさまも拝殿にとまっとってな、たいくつなもんで、ふたりでいろいろ話をしとったんや。そしたら、しまいにじいさまが、
「おれは疫病神だが、ひとつおまえと兄弟分になろうじゃないか。」
といったんや。
「兄弟分になってどうするんじゃ。」
と、武兵が言うと、
「おれがなあ、どんな家におっても、おまえが来たら、きっとにげていくことにするわ。」
と、言ったもんでな。武兵は、これはおもしろいと思って、兄弟分のやくそくをしたそうな。
 あくる日、ふたりがつれだって中津川へ歩いておって、ふと気がついてみると、白いひげのじいさまは、どこへ行ったんか、おらんようになってしまった。武兵は、
「ふしぎなこった。ふしぎなこった。」
と、みちみち、ひとりごとを言いながら帰って来たそうな。
 そんなことがあってから、しばらくたって、なかまの雲助が、ひどい熱病にかかったんや。武兵が、白いひげのじいさまのことを思い出して、その雲助のところへ行くとな、つぎの朝、熱はすっかり下がってしまったんや。こんなことが二へんも三べんもあったもんだから、はだかの武兵は、熱病をなおすというひょうばんがたったんや。
 それから何年かたったある冬の日に、中山道の大久手の宿に、大さわぎが起った。それは、あるおとのさまのおひめさまが、江戸へ行くとちゅう、病気にかゝりなさってな。それがまたひどい熱病で、近所の医者が、みんな集められたが、どの医者も、
「これは、わしの手にはおえん。」
と言ってな、さじをなげたんや。それで、おつきの家老は、こまってしまって、どうかしておひめさまの病気をなおしたいもんだと、氏神さまにお百度をふんでおがんだが、それでもおひめさまの病気はなおらん。だんだん重うなるばかりや。
 六日目の朝になって、宿場の人夫頭が家老のところへ来て、
「おしかりを受けるかも知れませんが、中津川の宿に、えき病をなおす、はだか武兵という雲助がおります。身分はいやしいものですが、この者をおめしになってはどうでしょうか。」
と、おそるおそるもうしあげたんや。家老は、おひめさまの病気は重くなるばかりやし、医者は見放してしまうし、こまりきっておったもんで、身分のことなど言っておれん。
「よし、それをよべ。」
と言ったんや。それで、すぐさま家来と人夫頭が、中津川の宿の、はだか武兵のところへ飛んで行ったんや。
 その日はたいへん寒い日でな。ひとり者の武兵は、うす暗い小屋の中で、夕めしを食っとったんや。人夫頭が、
「はだか武兵とは、おまえか。大久手の宿でおひめさまが、たいへんな熱病でおくるしみだ。すぐ来てくれ。」
と、たのんだが、武兵はだまって夕めしを食っとって、いっこうに出かけようとせんのや。いらいらしてきた家来がな、刀をぬいて、
「おい、武兵、おれたちのたのみがきけんのか。」
と、おどかしてもな、武兵は、知らん顔しておったんや。しかたがないもんでな、人夫頭が、近くに住んでおるおとくばあさんのところへたのみにいったらな、おとくばあさんが小さな声で、
「むりやりつれて行きんさい。」
と言ったんや。それで、武兵をむりやりにかごへおしこんで、大急ぎで帰ったんや。
 大久手の宿に着いた武兵を見て、家老や家来たちが、あっとおどろいた。雪ふりの寒い日というのに、武兵は、ふんどしひとつのまっぱだかでな。黒光りするはだは、きん肉がもりもりともりあがっとって、とてもたくましく見えたんや。家老は、はだかの武兵にびっくりしたが、おひめさまの病気が心配だから、さっそく、おへやへ案内したんや。
 武兵が、おひめさまのへやへはいってから、しばらくたつと、一番どりがないた。それでもおひめさまのへやからは、なんにも聞こえんのや。おひめさまのへやへ雲助の武兵ひとりを入れたんだから、家老は心配で心配でたまらん。どうなることかとじっと耳をすましておったんや。すると、お寺の鐘が、ゴーン、ゴーンとなって、夜明けをつげ出した。その時にな、へやの中からかすかに、ウーンというおひめさまのうめき声がきこえてきたんや。(これは……。)と思ってな、家老がからかみをすうっとあけてみると、おひめさまの病気はすっかりなおっとったんや。
 家老は、大よろこびでな、
「武兵、おてがらじゃ。ほうびは、望みどおりにあたえるぞ。何でも言え。」
と言ったけどな、武兵は、
「わしは、ごらんのとおりのはだか武兵です。何もいりません。」
と言ってな、何も もらわなんだそうな。
 そのあくる日は、十二月一日、この日は。めずらしくよく晴れた春のような日やった。おひめさまの行列は、十日ぶりで大久手の宿を出発したんや。それからはなあ、
「はだか武兵の兄さが、おひめさまの病気をひとばんでなおした。」
と、近所かいわいの大ひょうばんになったんや。
 いまでもな、中津川の旭が丘公園に、このはだか武兵がまつってある。石碑の前に、舟形の石がおいてあってな、この石をたたくと、チンチンと金のような音がするので、チンチン石と言っとる。悪い病がはやるときにゃ、自分の年の数だけ、チンチンと石をたたくと、病気にかからんと言って、おまいりする人があるんじゃ。

文・大島 虎雄
絵・高橋 錦子

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