川原のお紅



 むかしむかし、中津川の駒場に水神様をまつった、小さな祠があった。中津川のほとりでな、そこには、一本の大きな杉の木が、そびえるように立っていたんや。古い杉の木なのでな、根元に大きなほら穴があって、「お紅さま」と呼ばれる古ぎつねが、住んでいたそうな。
 お紅さまは、白粉と紅をつけることが大好きでな、ひまさえあれば白粉をつけ紅をひいて、水鏡を見ては楽しんでいたそうだ。村の人たちは、「お紅さま、お紅さま、」と呼んで、神の使いをする古ぎつねだと、思いこんでいた。
 ある寒い、冬が来たかと思われるような夜だった。駒場の太平さんという人が、町からの帰り道に、水神様のそばの細い道を、急ぎ足で歩いてゆくと、向うから美しいお姫様のような娘が、足を痛そうにひきずりながら歩いて来た。太平さんのそばまで来ると、
「道に迷って困っています。どうか今夜一晩の宿をお願いしとうございます。」
と、悲しそうな顔をして、太平さんに一夜の宿を頼んだそうな。生れつき正直で、親切者の太平さんは、すっかり同情してしまって、家へつれて帰り、とめてやることにしたそうな。
 太平さんが先にたって、しばらく歩いていると、
「あっ、ぞうりの緒が切れました。少しお待ちください。」
というので、太平さんが立ちどまって、ふとふり返って見ると、どうでしょう。そこには、恐ろしい顔つきの古ぎつねがいたんや。目はらんらんと光り、口は耳もとまでさけていて、今にも飛びつきそうな姿勢だった。
「さあ、お前さんの命は、わたしがもらったよ。」
というなり、太平さんを抱えるようにして、どこへともなく暗い闇の中を走っていったそうだ。不意のことだったし、恐ろしさもあって、太平さんは声を出すこともできなかったそうだ。
 翌日になって、太平さんの帰らないのに気のついた近所の人たちが、あちらこちら心あたりを探して歩いたがわからない。そのうち誰からともなく、
「太平さんは、水神様のお紅さまに、かどわかされたらしい。」
と言い出した。
「それに違いない。神様のお使いだと思っていたのになあ。」
「そうだ、そうだ、お紅さまもあまりひどすぎるぞ。」
「ひっ捕えて、こらしめてやらなくちゃ。」
などと言い合って、村人たちは、手に手に鍬や鎌をもって、お紅さまを捕えようと、大杉の下へ集ってきたそうだ。
 すると、高い大杉の上から、お紅さまが、
「みんなの衆、どうか許しておくれ。もう決していたづらはしないから、太平さんも返すし、この駒場からも出てゆきます。それに、この大杉にわたしの魂を入れて、長く駒場を守ってあげますから。」
と言う。ひっ捕えてひどい目にあわせてやろうと思って、集った村人たちも、かわいそうに思ったんやろうな、捕らえることを止めて、馬一頭をめぐんでやったそうな。お紅さまは、大よろこびで馬にまたがり、駒場から出ていったそうだ。
 長い間住んでいた大杉を、ふり返りふり返りゆくお紅さまは、白粉と紅をつけて、お嫁さんのように美しかったということだ。

 今は、工場などができて、すっかり変ってしまったが、お紅さまの杉の大木は、最近まで、中津川のほとりの牧場の裏手にあって、何百年ものむかしを知っているかのように、高くそびえていたんや。

文・大島 虎雄
絵・高橋 錦子

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