白い犬



 むかしむかしの話。景行天皇のみ代のことだから、今から千九百年も前のことだ。ヤマトタケルノミコトと言う、それはそれはかしこい、力の強いミコトがおられた。
 そのころ、東国にあって、わがままをしていたエゾを征伐して帰るとき、ミコトは、キビノタケヒコを越の国につかわして、国のようすを調べさせ、ご自身は、信濃の国から神坂峠を越えて、尾張の国に出ようとなされた。
 このあたりは、山は高く谷も深くて、なかなかの難路であった。ことに、神坂峠から恵那山にかけては、高い山が重なりあって、道らしい道もなく、ところどころにかけはしを渡したところもあって、人は杖にすがりながらようやく歩くことができたが、馬などは、こわがって進むこともできないようななんぎな道であった。
 ミコトは、この難路をようやくのことで峠までたどりつかれたが、大変なお疲れようであった。そこで一休みして食事をおとりになった。恵那山の山の神は、このようすをごらんになって、一つミコトを試してやろうとお思いになった。そこで、白い鹿になってミコトの前にお立ちになった。ミコトは、昼もうす暗いこの山の中で、急に白い鹿が目の前にあらわれたので、驚きになるとともに、「これは怪しい。」と、お思いになって、ちょうど手に持っておられた一つの野ビルを、白い鹿めがけて投げつけられた。すると、その野ビルが鹿の目にあたり、鹿はその場に倒れてしまったそうだ。
 それから、急に白い霧がたちこめてきて、ミコトの歩まれる道がわからなくなってしまった。ただでさえけわしくてなんぎな道であるのに、白い霧がたちこめたからたまらない。ミコトは、あちらこちら迷い歩かれて、大変なお苦しみようであった。困り果てておられると、どこからともなく、白い犬があらわれて霧の中を歩いてゆく。ミコトの前を歩いてゆく犬のようすを見ると、あたかもミコトをみちびいているかのようだった。ミコトが犬のあとをついて歩まれると、あれほどなんぎをしていた恐ろしい山を、無事に通りすぎて、美濃の国に出ることができたそうだ。
 一度は、白い鹿となってミコトを試された山の神も、ミコトのあまりの苦しみように、こんどは白い犬となってあらわれ、ミコトの道案内をされたのだった。ミコトはここで越の国から来たキビノタケヒコとおち合って、尾張の国に向われた。
 今までも、この神坂峠を越えるとき、多くの旅人が山の神の気にふれて、なんぎをしたり、病にかかったり、あるいはそのために亡くなったりすることが、たびたびであったそうだ。が、こんなことがあってから、旅人がこの峠を越えるとき、野ビルをかんで、その汁を体にぬって通ると、神の気にあたらず、無事に峠を越えることができたということだ。

文・大島 虎雄
絵・吉村 茂夫

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