へんび神様

 むかし、むかし、川上の上の畑と言う所に大きな洞穴があって、そこには大蛇がすんでいると言うことだったが、誰も見た者はいなかった。
 川上の人たちは、月に一度の念仏講のときや権現様の祭など、人の集るときに「大蛇の口はかますの口くらいでかい。」とか「尻尾の先は炭俵くらいの太さだ」とか「恵那権現様の大杉より大蛇はどでかい。」と、大蛇を見たような話をしていた。それというのも、上の畑にある洞穴には大蛇がすみついていると、川上の人たちは信じており、どこの家でも餅をつくと必ず穴の前に餅を進ぜたものだ。その餅は、明くる朝にはすっかりなくなっていた。もし、蟻の運ぶくらいのかけらでも残っていると「何か大蛇にあったのかな。」「何か悪いことが起るのでは。」と、川上の人たちは心配し、見たことのない大蛇を神様の使いだと信じていた。
 ある年の梅雨に入った日のことだ。天の底がぬけたかと思うほど、ザンザと雨が降りだした。この降りようはただごとではない。たった一日で川上川の水は、川岸の草も木もへし曲げ、どでかい石を「ガチン、ガチン」と川下へ押流し、正が根や奥の平のように、川からずっとはなれた高い所まで、泥臭いにおいをぷんぷんさせ、渦巻きながらごうごうと流れた。田んぼの水口に砂が流れこみ、植えたばかりの苗は水に浮き、畦からは下の田んぼへ滝のように水が落ちた。「こりぁ、まんだ降るに。どうしよう。」と、人々は心配をしたが、暗い空はいっこうに明るくならず、余計に暗くなってくるばかりだった。雨が降りだしてから三日目に、川上の人たちは恵那権現や嵩の越の水神様へお日乞いのお参りに行った。もちろん上の畑の洞穴の大蛇にもお祈りをした。
 四日目になると「お日乞いの終わった後に、皆んなで酒をいっぱいやるのが楽しみよ。」と、冗談を言っていた人たちも、真剣な顔になって「お百度参りでだめやで、千度参りじゃ。」「いや、万度参りにしよまいか。」とか「まんだ、まんだ信心が足りんわい。」と、あわてだし、秋葉山へ登り「まいるか、まいるかお日乞いじゃ、天がぬけたか雨よやめ。やぶれがさじゃぞ、ずぶぬれじゃ。おたのみ申すぞ、へんび様。」と、はやしながら、天にとどけとばかり鉦や太鼓をたたいた。恵那権現や水神様には前にもまして身を入れてお祈りし、大蛇の洞穴にはひとかかえもある大きな餅を進ぜたりした。
 二日目から小降りになったが五日目も雨。川ばたの田んぼは水に洗われ始め、川ぐろの家は荒れくるった水のしぶきがかかり、地面は吸いきれなくなった水を噴水のように吹き出した。ただならぬ雨降りに川上の人たちの顔つきがかわってきた。
 六日目の夕方、あれほど降っていた雨がぴたりと止み、雨だれが庭の柿の木からポタリポタリと落ち、もやもや動く雲の切れ目から夕日さえ射してきた。なが雨に降りこめられて家の中に閉じこめられていた人たちは、外へ飛び出し空を仰いで「ウーン」と背を伸し、顔を見合わせにっこり笑ったりした。
 そのとき「グオーン」と、いう音と共に地面がゆらゆらとゆれ始めた。「オーッ、オッ」と、おどろいている人たちの耳に「ドドドドオー」と、谷中にひびく、ものすごい音が聞え、目の前の山がゆらゆらと動き出した。皆んなの目に映ったのは、もこもこと木を押倒し、水けむりをふきだし、田んぼをけずり、黒い牛が何万頭も一度に走り出したように迫ってくる蛇抜けだった。
「ヤアー、嵩の越山がぬけたあ。」「蛇抜けじゃ。」「子供をつれてにげろ。」川上の人たちは大声で呼び合って、蛇抜けに追われて下へ下へと逃げた。腰ががくがく動けなくなって田んぼの畦にへたりこむ人や、ぼたの桑の木にすがりつく人もあった。
「恵那大権現様、助けて下され。」「大蛇様」「助けておくれ。」「南無観音、御如来、なむかんのん、おにょらい。」もう、神や仏におすがりするより仕方がない。逃げても逃げても山はくずれてくる。誰もがあきらめ、走るのをあきらめ、その場にすわりこんだ。その時、突然「ピカッ」と稲妻が光ると同時に「ドシャー」と、天地が裂けるようなどえらい音がした。皆んなはこの世の終わりかと思い呆然としていると、どうしたことか、今まで川上の人たちを追いかけるように押し寄せていた蛇抜けの音がピタリと止み、ゴウゴウと流れる川上川の水の音だけが、まわりの山にこだましていた。「どうしたんや。」「どうしたんや。」蛇抜けの音が止んだことに気が付いた人々は、おそるおそる顔を上げて周囲を見まわすと、今までなかった三つの小山がぽっかりとできているではないか。そして、できたばかりの小山が「ガッ、ガッ」と動き出したと思うと、その動きもぴたりと止まってしまった。それは生命のあるものが静かに終わりを告げ、天に昇って行くようにも見えた。
「あっ大蛇様や。大蛇様にちがいない。」「そうだわ。大蛇様が身を投げ出してわしらを助けて下さったんや。」「そうや、そうや。大蛇様のおかげや。」「ありがたいことや。」と、口々に感謝の気持ちを話合った。
 小山の動きが止まる様子を息をころして見ていた川上の人たちは、助かったことを心から喜び合った。しかし、上の畑の洞穴にすんでいるという大蛇を見た人はいなかった。

 今でも川上から広岡へ越す街道の両側に、二つの小山が見られ、この山の頂上には「へんび神様」が祀られ、蛇の頭と言われる小山がある中津川上の集落はモチ穴と呼ばれている。

文・中田 良三
絵・高橋 錦子

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