やれ飛べ観音



 むかし、むかしの話だ。
 ある日、商家の主人が、東円寺を尋ねて住職さんに相談をもちかけていた。
「お恥しい話だが、倅が遊びに出まして、帰ってこんのですよ。あちこち手わけして探してみたんだが、どうしても見つかりません。これは、ひょっとしたら、もう死んででもいるのではないかと、胸がさわぎまして、思いあまってご相談にきましたが、何かよい考えはないものでしょうか。」
と、言うのである。静かに聞いていた住職さんは、
「一本気なお宅の息子さんのことだ。思いつめたあげくと言うこともあるが。」
と言いかけて、しばらく考えていたが、近くにあった木の札を取りよせて、お経の文句をすらすらと書いた。
「もし、死んでおれば木曽川だな。このお札を川に流してみなさい。もしこの札が沈んだら、そこを探してみたらよいでしょう。」
と、言ったそうだ。
 早速、木曽川に流してみた。流れる木の札を追ってゆくと、玉蔵橋の近くに、けわしく切り立った崖があり、その下に大きく渦を巻いている、青い渕があった。渕まで流れてきた木の札が、一瞬とまったかと思うと、くるくるまいはじめた。(あれよあれよ)と見ているうちに、木の札は沈んでいった。(さては)と思って、渕の底を探してみると、息子が沈んでいたそうだ。
 この渕の崖の上には、大きな松の木が枝を茂らせており、その根元には、石の観音様が、雨ざらしになって、川に向って立っておられた。見るからにさびしそうで、息子の死に場所を、この観音さまが、教えたかと思われるほどだった。
 こんなことがあってから、この観音さまのところから、渕へ身を投げて自殺する者が多くなったそうだ。
 それから、また幾年かたったある日、この渕にとびこんだ一人の若者が、設楽の森の川岸に打ちあげられた。生きかえった若者が、ふとつぶやくように、
「不思議な気持ちだ。思い悩んで観音さまの側までくると、観音さまに、やれ飛べ、それ飛べとけしかけられて、つい飛びこんでしまった。」
と、言うのである。それから誰からともなく、
「あの観音さまの側へゆくと、やれ飛べそれ飛べと、観音さまがけしかけて、渕へとびこませるそうだ。」
「そうに違いあるまい。それであそこで自殺するものが多いんだ。」
「観音さまが、迷っている者をみんな自殺に、追いやるそうだ。」
などと言い出して、うわさはだんだん広がっていった。
 そのころ、また(むかし、きびしい取りしまりにあった隠切支丹が、聖母マリア像を、観音さまといつわって、こっそり一緒にして祭った。それで観音さまが祟って『やれ飛べそれ飛べ』とけしかけては、人を死に追いやるそうだ。)と、いかにも知っているようなことを、言い出す者もあって、うわさは宿場中に広がった。それから誰言うともなく、この観音さまを、やれ飛べ観音と呼ぶようになった。
 宿場の心ある人たちは、(これは観音さまを、切支丹のマリア像と一緒にしたり、雨ざらしのままで、誰も祭らないからだ。)というので、お堂を建て、また、観音さまの向きも、川を背にし恵那山に向けて祭りなおした。そして、ここで死んだ人たちの霊をなぐさめて、お祭りもした。それからというものは、ここで自殺する者は、なくなったということだ。
 今でも、北野の木曽川の岸に、小さな祠があり、近所の人たちは、長寿観音菩薩と呼んで、毎年春にはお祭りをしているということだ。

文・花田 玲子
絵・藤原  梵

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