踊る人形



 恵那山のふもと、川上には、元禄以来何百年と続いた恵那文楽がある。三味線にあわせて人形浄瑠璃が語られ、浄瑠璃にあわせて人形使いが人形をあやつるのが文楽である。川上に保存されている人形の首五十体のうち、二十三体は民俗資料として岐阜県の文化財に指定されている。首は、大阪文楽座所蔵の人形についで、全国的にもけっさくだと評価されている。長年保存しているうち、首のあちこちが欠けたり、削れたりしているが、下手な修理はかえって人形の品位を汚すものとして、手は加えられていない。それがかえって、何百年も続いてきた文化の香りをたゞよわせている。
 恵那文楽は、元禄の頃から、一日の労働が終ったあと、練習仲間の家をかわりばんこにまわっては、土間にむしろをしき、たいまつをたいて、そのあかりで練習を重ねてきたといわれている。この伝統ある恵那文楽が、明治の一時期、国からのおふれで上演をとめられた。これはその時の話である。
 原さんは、庭のあじさいの花を見ていた。今年のあじさいは、ことのほか色があざやかであった。しばらく見とれていると、誰もいないはずの家の中で、スルー、スルーと廊下をすり足で歩くような音がした。原さんは不思議に思って、ふすまをあけてみた。
 廊下には誰の姿も見あたらなかった。次の部屋のふすまを、あけてみた。部屋には、大きな長持がおいてあった。原さんは、その長持を見て「おっ」と思わず声をあげた。たしかにふたをしめておいたはずの長持から、いくつもの白い顔が、原さんを見上げていた。中にはじっと、にらみつけているのもある。
 この白い顔は、元禄時代からこの川上で演じられてきた、恵那文楽の首であった。ベベン、ベベンと三味線がなって、三味線にあわせて人形をあやつる文楽の人形であった。原さんは、その文楽人形つかいであった。
 明治になって、国は「芸人にあらざるものは、祭礼といえども、興行すべからざること。」というおふれを出し、芸人には鑑札を持たせた。川上の人達は、鑑札がもらえなかったために、文楽を演ずることができなくなった。それで、少しずつ首をわけてしまっておくことにしたのだった。
 原さんは、長持の中から首を一つ出してみた。なきじょうごといわれる、人形であった。どことなくひょうきんな顔をしているが、原さんの顔を見上げて、今にも泣き出しそうであった。
「おう、おう、お前も芝居がしたかろうに、そんなにして泣くのを、こらえておるかよ。」
原さんが話しかけていると、そこへ奥さんが帰ってきた。
「ちょっと、わしの話を聞いてくりょ。」
 原さんが、さっきの不思議な話をすると、奥さんは、
「そりゃ、人形にも生命があるといいますでなも。長いこと、長持の中にしまいおかれた首が、世の中に出とうて、家の中をさまよっておるのにちがいないですわ。」
「なあるほどなあ。人形にも生命があるんかのう。」
 原さんは、奥さんの言葉にえらく感心した。
 ある日、原さんが寿座という芝居小屋のそばを通りかかると、中からなにやら人の声がする。

「さて、今日はなんの演じものもないはずだが。」
 原さんがおどろいて近づき、中をのぞいてみると、チョンチョーンと拍子木の音がして、うすぼんやりしたローソクのあかりの中で、なんとあのなきじょうごが、口上をのべているところであった。
「さてさて、本日、皆様方にここに集まっていただいたのは、長い間、芝居もできず、うす暗い長持の中にしまいおかれてばかりで、いかにもなさけない。せめて年に一度でいいから、芝居がしたいと思ってご相談申し上げようと、こう思いまして……。」
 ます席の中でも、いくつもの首が、うなずいたり、ゆらゆら頭をふったりしながら舞台を見上げていた。よく見ると、原さんの家の首ばかりではない。川上中の首がより集っているのであった。
「ほんとに、そのとうりだよ。」
 すんだ声がしたかと思うと、長い髪を一つに束ねて白い着物をきた女の首が舞台にとびあがった。
「あたしゃね、芝居ができないのが悲しくて、とうとうこの目を泣きつぶしてしまったよ。」
 見えない目を見開いていう首は、ねむりであった。
「そうだ、そうだ。」
「おらあも芝居がしたいよう。」
「芝居がしたいねえ。」
「芝居がしたいよう。」
「かびくさい長持の中は、ごめんだよう。」
 いくつもの首が口々にいうと、あかりがゆらあ、ゆらあゆれて、そしてふっつり消えてしまった。と同時に、さっきまでいたいくつかの首も、ふっとかき消すように姿が見えなくなった。原さんは、しばらくぼんやり立ちつくしていた。まるで夢を見ているような気分であった。
 次の日、さっそく原さんは、川上の人達に昨夜の話をした。すると、
「おらの家の人形も、夜中に踊っておるぞ。」
「おらんとこのも、そうだ。」
「こんなに人形が世の中に出たがっておりゃ、いっくらおかみのおふれだとてなんとかしてやらななるまい。」
「こんな山の中だもの、おかみの目もとどくまい。こっそり文楽をやろうじゃないか。」
 みんなの意見が一つになって、久しぶりに文楽を上演することになった。その夜、寿座は、川上中の人が集って、「関取千両のぼり」がみごとに演じられた。人形が、生き生き芝居をしたことは、いうまでもない。
 こうしてこっそり、続けられた文楽も、やがておかみの禁止もとかれ、恵那神社の祭礼など、おまつりなんぞに演じられている。

文・三戸 律子
絵・高橋 錦子

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