どじべえぎつね



 中津の町にゃ、そりゃ数知れぬきつねが住んでおった、ということじゃ。
 そのきつねども総とりしまり、きつね組の組長ともいうべききつねの名を、どじべえといったげな。
 そもそも、そのどじべえという名の元祖は、中村の保どう寺に住みつく、たぬきの名だったという。そのたぬきのはなしも、したいところじゃが、きょうは、その名をゆずり受けた、どじべえぎつねのはなしだけすることにしよう。

 河原に近い八幡町の水神様に、まっことちょっとした芝居小屋の舞台があってな。芝居小屋といっても、舞台だけのもので、ま、野外舞台やったな。
 そこでは、町の人々が寄り合いをしたり、祭り時にゃ、ちょっとした芝居をやったり、浄瑠り語りに文楽人形をあやつりしたり、みんなのごらくの場じゃったな。
 ある夏の日、川上の源さんが、町に用事があって、明るいうちに川上を下り一ぱい酒をのんで、ごきげんで帰る時や。とっぷり日がくれて、その日も明日に変ろうとするころ、川上街道の登り口である、八幡町を歩き始めたあたりでやみをついた目の前が、ぱっと明るうなった。まるで、今まで歩いて来た町を見たようじゃった。
 源さは、びっくりぎょうてん、よっぱらった目をこすり、
「りゃ、りゃ、うーんだいぶんよっぱらったわい。おりゃまた、町へ向っておったかいの。」
 そういって、ひょっくり向きを変えて、今来た道を歩みかけると、なんと浄瑠りを語る声と、けだるいしゃみせんの音がするではないか。
(こりゃ、また、水神様の舞台じゃ。まんだ、人寄せをせておったか)と思うが早いか、源さの足は、すたすたと水神様の舞台に向っておった。
 おるわ、おるわ、大ぜいの客が、浄瑠りのかなでる音と語りに乗って舞う文楽の人形をじっとくいいるように見入り、笑ったり、泣いたり、手をたたいたりしておった。
 源さもその中にまじって、いっしょに見入った。
 そばに座っている客がすすめるごちそうや、まんじゅうを口に運んでは、かなしくもゆかいげな浄瑠りをきいておった。
 やがて、夏の東の空がしらみかけて来たとき、夜明けを待つように、野良仕事に出かけた百姓衆が、水神様のまわりの田んぼにあらわれた。
 すると、客は一人へり二人へり、宙を返るようにして去って行き、あっというまに、浄瑠り語りも人形もあやつり人も、だあれもおらんようになった。
 がらんとした舞台を、まだ、うつろな目をして、もそーと見入りおる源さは馬ぐその中に座っておったげな。
 年に一度、きつね組合の寄り合いがあるときいたが、その日であったかの。
 そこに集る代表は、東組 どじべえ、西組 こでの木こじょろう、南組 とりでの藤吉、北組 河原のお紅だ。

文・磯貝 啓子

目次へ 地図へ