あざ岩
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落合と銭亀の境、坊主平へ登る道に、松の林がある。その松のもとに、黒っぽいこけむした大岩があり、ちんびくたいやしろが、申しわけのように建てられている。ぜにがめの人々は、この岩のことを、あざ岩といったり、いぼ岩とよんでいる。
今からおよそ七百年も前のことである。まだこの附近を鎌倉街道が通っていたころ、秋葉神社の近くに、街道に面して一軒の茶屋があった。
そこに、どえらい大きなあざが顔にある、そりゃあみにくい娘っ子がすんでいた。なまえを千代といった。
その茶屋には、ばくち場もあって、旅人やかごかきたちが、たくさん集まって来て、かけごとをやっていた。
近所の人たちは、千代が気だての良い娘だということを知っていたので、千代の悪口を言うものは、ひとりもいなかった。
ところが、たまに通る旅人やら、ばくちでまけたかごかきたちは、
「ありゃなんだな、あの顔は、炭でもついているのか。」
「いんにゃいんにゃ、たんぼ仕事で、どろでもついているんじゃろう。」
などと言って、千代の顔をじろじろ見た。
千代は、できるだけ顔のあざが人にわからんようにしていた。しかし、千代のあざは、そんなにかんたんにかくせるほど、小さなあざではなかった。
男たちは、千代がかくせばかくすほど、おもしろがって、酒くさい息のかかるほど、千代の顔をのぞきこんだ。そして、
「なんだこりゃあ、あざかい。」
「こりゃまた大きなあざじゃ。」
「なんとも、みっともない顔じゃなあ。」
などと、ずけずけいやがらせを言った。
千代は、そのたびに、
「なんでおらばっかし、こんなはずかしいめにあわにゃならんのじゃ。」
「早く死んでしまいたい。」
と、思っていた。
また、初めての客の中には、千代がお茶やらいもだんごなどをはこんでいくと、顔に大きなあざがあるものだから、千代の顔を見るなり、にげ出すものがいた。
こんなことが、たびたびあったので、千代の親たちは、千代のことをたいそうかわいそうに思って、あっちのお寺さん、こっちのお宮さんと、ほうぼうおいのりして歩いた。しかし、少しもそのききめは、あらわれなかった。そのうち、親たちは、神だのみをあきらめた。
そして、
「千代のことは、そなわりもんや。あの子もなんともいわんが、年ごろやし、だいぶ気にしとるようやな。」
「あれで、悪い心でもおこさないいがのう。」
などと、ひまあるごとに話していた。
こうした親の苦しみにもまして、千代のなげきは、そのいく倍も大きかった。このあざさえなかったら、本当に幸福だと思った。秋葉様へ毎日のようにおまいりしたり、人の教えてくれることは、なんでもやってみたが、そんなことで顔のあざがとれるものではなかった。
とうとう千代は、あざを苦にして、病の床についてしまった。
ある日、千代は、夢を見た。
松林のもとにある大岩に、千代は立っていた。ふと気がつくと、自分の顔のようすがなんとなくちがう。千代は、なぜか、もっていた手かがみで、自分の顔を見た。するとどうだ、雪のようにまっ白な美しい顔がそこにある。千代は、自分の体が軽くなるのを感じた。
こんな夢を見た次の日、千代は、えらくて、なまりのように重い体をひきずって、やっとのことで、大岩の所へ来た。するとどうだ、顔のあざがなくなるわけではないのに、千代は夢のことを思い出し、気分が良くなるのを感じた。
その日から、千代は、その大岩に願いをかけることにした。
「自分は、顔のあざのことで苦しんできたが、世の中には、私と同じように苦しんでいる人が外にもきっといる。そんな人たちをすくってあげたい。」
と、千代は思い、その大岩に願かけをした。
そして、それからというもの、千代は毎日毎日、雨の日も風の日も、焼けつくような夏の日も、大岩の所へ行き、おいのりをした。
千代の体は、ますますよわっていった。
そして、ある年の冬、ふりしきる雪の中を、千代は、最後の力をふりしぼって、大岩の所へ行った。
千代が、大岩の所まで来ると、雪はいつのまにかやんでいた。大岩の上にやっとのことで立って空を見上げると、千代の体から急に力がぬけて来た。千代は、空を見上げたままくずれていった。やがて千代が気がつくと、空にはまんてんの星がちらばり、千代の心をあたたかくつつんでくれた。千代はにっこりすると、やがて深いねむりにさそわれていった。
いてついた夜空を北の方へスーッと星が流れた。
つぎの朝、雪の中に千代が発見された。
岩にもたれ、千代は、まんぞくそうにほほえんでいた。
こうして、千代は、親たちの手によって、千代のねがい通り大岩のもとにうめられ、ほこらにまつられることになった。
今でも大岩のもとのほこらには、小石がたくさん上げられ、いぼやあざのある人が小石をかりてきて、いぼやあざをこするととれると言われている。
ほこらには、ときおり一輪の花がそなえられ、けなげな娘の心をなぐさめている。
文・横山 修二
絵・藤原 梵