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素材がひきだす
中津川の味わい

自然の恵みを感謝しながら食す

 恵那山の麓、清流木曽川や付知川が流れる中津川市は、四季折々の自然の恵みをふんだんに使った、独自の食文化があります。そこには自然とともに生き、その恵みに感謝するとても素朴な気持ちと、東山道、中山道、飛騨街道が通り、交通の要衝として栄えた中津川の旅人をもてなす心が込められているといいます。
 初夏、今でも家庭の味として作られる朴葉寿司、地域によって少しづつ味や形が違う五平餅や、そばなどの伝統的な食は、これからも受け継がれていくことでしょう。
 新たに生まれてきた食。恵那山の登山で知られるウォルター・ウェストンを讃えて作られたウェストンココア、ふれあい牧場のラムソーセージをはじめ、地域性に富んだ食が誕生しています。



六酒蔵、蔵人が魂を吹き込む


中津川の地酒
 中津川の地酒はレベルが高い、こんな話をよく耳にします。「それは水源に近いからでしょう。酒の味の善し悪しは、水の味で決まります」と語る、三千櫻酒造の山田さん。「中津川産の米は、県下で一番早く売りきれるほど良い米も取れます。水が良く、他の水温も低いから、きゅっと締まった米ができます。水が良い、米も良い、寒暖の差が激しい。中津川は酒造りに適した場所です」
 もちろん、素材が良いだけではおいしい酒はできません。タンク一本一本を大切に作り上げる杜氏の心意気が、味を大きく左右します。中津川の蔵元は、どちらかと言えば小さな蔵。どの蔵も決して無理をせず、量よりも質を重視した丁寧な作り方をしています。
 「例えば、一度失敗してしまうと、蔵の信用を回復するのに五年はかかるでしょうね。だから酒作りに必要なことはちゃんとやる。昔からの手法をしっかり守る。これがおいしい酒を造る秘訣です」
 中津川の地酒はその蔵ごとの特徴がよく出ていて、個性がはっきりしていると言われます。これこそ地酒ならではの楽しみ。「蔵元はどこでも「おいしい」と言っていただける酒を造りたい。それだけです。」山に囲まれた中津川は、素朴な人が住む土地柄。そしてこつこつと努力を惜しまない人が多い土地柄です。「きれいな酒」と形容される中津川の地酒。作り手の人柄がでているようです。



心に潤いと安らぎをあたえるお茶


中津川のお茶
 中津川のお茶は生産量こそ少ないものの、昼夜の気温差の大きいこと、雨の多い土地柄、水の美味しいことや害虫の被害の少ないことなどから古来より良質で安全なお茶の生産地です。
 清らかな山里の霧は、良質な茶葉を育て、味、香り、色の良いお茶ができます。また吉村茶園では、六十数年間、一度も農薬を使わず、化学肥料にも頼らず土作りにこだわったりと、各茶園ではお茶の一葉一葉に神経を使い地域の特性を活かしたお茶作りをしています。
 お茶は健康飲料として見直され豊富に含まれるビタミンC、Eなどから疲労回復、血圧血糖降下作用、発がん防止効果等研究報告がなされております。一服のお茶の味と香りが心にうるおいと安らぎを与え、気分をさわやかにしてくれます。
 身体に悪い活性酸素を少なくしてくれる効果のあると言われる緑茶(お茶)を食事の後等に飲むことで健康増進に役立てることができます。

だんごの形にも地域性、 
代々受け継いだ形です。



五平餅
 中津川の人なら誰でも知っている五平餅。その名前の由来は、「五平さんが作ったから五平餅」とか、「山の神に捧げるお供えだから御幣持ち」など、諸説あります。お客様のおもてなし料理、ハレの日のご馳走だった五平餅。馬籠出身の文豪 島崎藤村の大作「夜明け前」の中には、身内だけの祝いの席の料理として登場します。胡桃たまりのタレで焼いただんご型の五平餅は、小説を読んでいるだけでもしょう油のこげる香りがしそうです。「夜明け前」執筆当時は、ふるさとを遠くはなれていた藤村。生まれ故郷の味をどのような思いで書いたのでしょう。

山あいに住む素朴な人柄が味にでる

つけもの
ずいきの漬物
 木曽方面で昔から食べられていたずいきの漬物は「アカタツ」といわれるサトイモの茎の酢漬け。血液をきれいにする作用があると言われています。

せんべい
 宿場町馬籠に似合う素朴なせんべい

いもやこもち
 「サトイモのや〜こい(やわらかい)おもち」が名前の由来とも「焼き粉もち」がなまったものともいわれる「いもやこもち」。木曽路の入り口、山口で昔から食べられていた郷土食です。米がなかなか手に入らなかった頃、少ないご飯でいかにおいしくお腹いっぱいに食べられるか、と考えられたアイディア料理です。蒸したサトイモとご飯をよく混ぜてつぶし、丸めて串に刺し、ショウガみそをつけて食べます。表面はこんがり、中はもっちり。サトイモの甘みとショウガみその香りと味がよく合います。

いももち
 加子母の郷土料理「いももち」。粘りの強い西方(にしがた)いもとお米を一緒に炊き上げたもの。加子母では昔からどの家でも「いももち」をつくって食べます(ゆうらく館)

トマトジュース・トマトケチャップ
 加子母の健康ミネラルトマトを使った、トマトジュースとケチャップ。加子母でとれるトマトを利用して生まれた製品です。ミネラル分たっぷりの健康に良いトマトがぎゅっと詰め込まれています。トマトジュースは塩入と無塩の2種類があります。ラベルは加子母在住のイラストレータ本田希代子さんのデザインで加子母ならではのこだわりの一品です。

歴史の中で生まれた味。
新しく生み出された味

ハッカ糖
 中津川市街地から付知町へと続く国道257号線は、かつて御岳街道と呼ばれ、御岳参りの善男善女が行き来した道です。付知峡から開田へ、そして御岳へ。険しい山道を行き交う人々の疲れを癒したのが、付知町名物のハッカ糖でした。かつては付知町内に多くの飴屋があり、ハッカ糖を作っていましたが、現在では四軒のみ。専門店はカツノ製菓舗だけになりました。
 昭和初期に創業のカツノ製菓舗では、今も伝統の味を守りながらハッカ糖を作り続けています。「すっきりとしたハッカと口に残らない甘みが大切。砂糖と水飴、ハッカ油だけで作るので、ごまかしがききません」と語る2代目勝野観さん。さっぱりしたグラニュー糖、素朴な甘味の中白糖、独特の香りと甘さの黒砂糖の3種類の砂糖を使って三色のハッカ糖を作ります。「飴は湿気を嫌います。その日の湿度と温度で作り方を調整します」その微妙な調整は、長年培ってきた勘だけが頼り。素朴な味に隠された職人の技です。

朴葉寿司
 鮭の切り身、ふきの煮付け、椎茸などをのせたすし飯を、朴の葉に包んだもので、その彩りと風味は格別。昔からお祭りやお祝いの日の食べ物としてつくられてきました。味付けも中に入れる具も家庭ごとに違っていて、朴葉寿司にはおふくろの手のぬくもりがあります。

あじめコショウ製品
 福岡地区の好辛(こうしん)倶楽部」では、地域特産品「あじめコショウ」といろいろな素材を組み合わせ、商品開発を行っています。信州みそと静岡のしらすを混ぜた「とんからしらすみそ」は、静岡県舞阪町と共同開発した商品です。また、粉末を携帯できる「あじめコショウストラップ」、食卓でも使いやすい缶入り粉末など、「粉末あじめコショウ」が辛い物好きの間で話題になっています。

イギリス人登山家ウェストンのココア

ウェストンココア
 日本で初めてココアが発売されたのは、大正八年のこと。ほっとする香りと甘みで人気を集めました。最近では、食物繊維が豊富で病気予防や健康増進につながるとして注目されています。
 ところで、日本でココアが発売される前に、ここ中津川でココアを楽しんだ人がいます。彼の名前はウォルター・ウェストン。日本アルプスの名付け親と知られる登山家です。ウェストンが恵那山を登るために中津川を訪れたのは、明治28年5月のこと。まだ雪深い登山道を登り、山頂で3時間ほど過ごしています。温かい日射しを浴びながら、美しい山頂からの眺めを楽しむウェストン。ココアを沸かし、登頂の喜びを感じたと言われています。
 ウェストンココアはウェストンが恵那山頂でココアを楽しんだという史実をもとに、中津川の名物として発売されました。冬の恵那山を思わせるたっぷりの生クリームと、ココアにぴったりなビスケットが、楽しいティータイムを演出します。



<ウェストンココア取扱店>
・カノン 66-5828
・クアリゾート湯舟沢 69-5000
・神戸館ガリバー 65-5793
・木漏れ日 62-3566
・ゴールデンベル 65-7162
・ディア中津川スポルト 65-5925
・喫茶たなか 65-2814
・マジョリカ 66-7211

中津川市川上地区に造られたウェストン公園は、すぐ横には清流中津川が流れ、運が良ければ豪快に水が流れ落ちる女郎の滝が見られます。この公園から登った所にウェストンが実際に登った登山ルートの登山口があります。

菊ごぼう
 当時の赤土土壌で栽培された物は、独特の風味と香りがあり、ふつうのごぼうに比べて、大変やわらかく、歯ごたえが良いのが特徴です。

ラム肉ソーセージ
 ラム肉は、脂肪が少なく牛肉なみのたんぱく質、ビタミンを含み、鉄分・カルシウム・カリウムも豊富で結合組織が少ないため柔らかくまろやかで消化がよくヘルシーな食品といえます。

みそ・しょう油
 米の生産から加工販売まで手作りにこだわり続けて60有余年。古くから伝わる製法を大切に守って醸造され、じっくりと安全で本物の味が作られていきます。

ケイチャン
 鶏肉を一口大にカットし、にんにく、唐辛子などのスパイスを利かせてみそやしょうゆに漬け込んだ肉加工食品です。キャベツやたまねぎなどの野菜といためたり、焼いたりしていただきます。


和宮御膳
 江戸の日本橋を起点とし、京都までの69次の宿場をもつ中山道(別名姫街道)。中津川宿は45番目の宿でした。大坂城から江戸に下る千姫をはじめ、1861年10月には14代将軍家茂公にご降嫁された和宮など、数万人の行列が中山道を通られています。降嫁の際に中津川宿で召し上がられた料理(御膳)の文献が発見され、この度忠実に再現しました。お姫様気分でお召し上がりください。



皇女和宮物語
 時は江戸時代の末、幕府が朝廷の力を借りて国の安定を図る「公武一和」という政策がありました。その政策の象徴として第14代将軍、徳川家茂が朝廷から迎えたのが皇女和宮。和宮降嫁の行列は中山道を通り、10月29日には中津川にて宿泊されました。
 その道中に食されたお菓子を現代に再現しましたものが「和宮道中御菓子」でございます。



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発行:岐阜県中津川市