大池の主

 まごめの一番上の方に、あたご山というところがあった。
 そこに、池が二つあった。一つを、いもり池、もう一つを大池といった。
 むかし、天気つづきで、田んぼに水がなくなってしまった時、あら町の人は、あたご山に集って、百八のたいまつをつけて、大池の主にお祈りをした。そして、大池の水をかりて来て、氏神様に おそなえして、天のめぐみの雨を待った。
 この、あたご山の大池は、むかしは、いまの六十倍も大きくて、いつも、水が一ぱいたまっていて、気味のわるいところだった。
 むかし、そこに、大きな一ぴきのへびが、すんでいた。村の人は、その主に、お椀やお膳をかりることがあった。
 ある日、あら町で、ご祝言があった。百姓の家は、むかしはびんぼうでしたから、お膳やお椀がなかったから、大池の主にかりることにしていた。
「お主さま、お主さま、どうかお膳とお椀を三十人前貸しとくれ。」
と言って、手をたたいて おねがいした。
 次の朝行ってみると、池の端に、たのんだ分だけちゃんとそろえておいてあった。
 村の人は、使ってしまうとお礼のことばをいって、お酒を一合つけて、お返しして来た。
 ところが、ある年のこと、村の人が祝言をするとて、三十人前のお膳とお椀をかりた。そうして、いよいよ返す時、一つ、いためたので、こんないたんだものを返したらしかられると思って、一つ足りないまま返した。
 池の主は、何度かぞえても一つ足りない。ぷんぷんにおこってしまった。
「こんなところには、おらん。」
と言って大雨を降らせた。そして、池のはしをくずして、流れる水といっしょに、湯舟の方へ立ちさっていった。その時は、田んぼや畑も大へん荒れて、作物は土の下になってしまった。
 そのあとは、何回池の主にたのんでも、さっぱり、膳も椀もかりれんようになってしまった。
 湯舟は、それから雨ごいに行く人が多くなり、坂本や苗木の方からも水をもらいに来た。

文・鈴木 佐代子
絵・大橋 寿美代

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