徳さんのきつねこうやく



 むかし、といっても、今から三百年ほど前のことや。中山道の宿場町落合宿に、十曲峠を越して往き来する飛脚衆がおってな、その中に一人だけ目立ってよう働く、若くていい男がおったと。
 どこから来たのか誰も知らなんだが、この若者はな、天ぷらや油あげが大好物で、弁当のおかずはたいてい油あげが入っとったちゅう話や。そして、まじめで、働き者でな、一日に何十里走っても平気やった。とくに油あげを食べた後は、この若者の右に出る人がおらんくらいよう走ったと。
 そんなわけで、この若者は、宿場の人たちに大へん人気があってな、仕事も一番よけいにあったちゅうことや。
 ほかの飛脚衆は、この若者ばかり人気があるのでおもしろくない。そのうちに、この若者をねたむ者がでてきた。
「あれは、どうも、ただ者ではないぞ。」
「あれだけの速さで何十里も走れるということは、どうも人間わざとは思われん。」
「天ぷらに油あげが好きということは、ひょっとしたらきつねかもしれん。」
「きっとそうや。」
 こんなうわさをするようになったと。
「どうや、きつねか人間か、ためしてみたら。」
「そうじゃ、ひとつ化けの皮をはがしてやろう。」
「きつねは、油あげも好きやが、ねずみの天ぷらの方が大好物らしいぞ。」
「そうじゃ、十曲峠の観音様にねずみの天ぷらをそなえておいて、かくれて見とってみよう。」
「もし、人間はよう食べんねずみの天ぷらを、あの若者が食べたとしたら。」
「もちろん、あの若者はきつねということになる。」
「それはいい、さっそくやってみよう。」
 相談がまとまって、次の朝はやく、一人の飛脚が十曲峠の観音様に、ねずみの天ぷらをそなえておいた。そこへ、飛脚仲間が集まってきてな、まわりのやぶの中にかくれて、この若者が通りかかるのを待っておったと。
 今か今かと息をひそめて待っておるとも知らず、若者は、今日も元気に走ってきた。
「おや、いいにおいがするぞ。」
「おっ、これはうまそうな天ぷらや。」
 天ぷらの大好きな若者は、いったん通り過ぎたが、どうもがまんができんので、またもどってきた。さいわい、あたりに人影はなし、とみると、つい手が出て、その天ぷらを食べかけた。
 すると大へん。さっきからかくれて見ておった飛脚衆が出てきて、
「この化けぎつねめ。」
「よくも人をだましたな。」
と、いっせいに飛びかかったからたまらない。なぐるわ、けるわ、もうさんざん。若者は気を失ってたおれてしまった。
 むしの息になって道ばたにぐったりとしておるところを、ちょうど通りかかった、徳さんといってな、大久手の松崎さんの先祖らしいがな、その人が助けてやったちゅうことや。
「こんなひどいけがをして、かわいそうにの。」
 徳さんの声で、きつねは少しずつ意識がもどってきたのやと。そこで徳さんは、きつねを家に連れて帰り、きずの手当をしてやった。
「やっぱり、いつまでも人間に化けおおせるものやない。」
 しょげて小さくなっておるきつねにな、
「もう二度と人間に化けるでないぞ。」
とやさしくさとして、山へはなしてやったと。
 それから何日かたったある日のこと。徳さんの家へ一匹のきつねがやってきた。見ると、この間のきつねではないか。
「この間は、あぶないところを助けていただいて、ありがとうございました。お礼に、きずによく効くこうやくの作り方をお教えします。」
といってな、こうやくの作り方をくわしく教えてくれたと。
 そこで、徳さんは、教わったとおりに、こうやくを作ってみた。これがよく効くこうやくでな、またたくまに、すごい評判になったそうや。徳さんは、やがて十曲峠の中ほどに「きつねこうやく」と看板を出してな、薬屋を始めたと。きずによく効くというので、大はんじょうしたということや。
 なんでも、山いっちゃ、モーチの木を切ってきて、池すん中へつけといて、二百十日もたったら、皮をむいてな、その皮をたたいちゃあもんで、モーチをとってな、次に、たなびら、どじょう、なめくじの黒やきを、炭火で一日がかりでつくって粉にしてな、そのモーチと黒やきの粉とを混ぜてよくねってこうやくを作ったもんやと。それを、まっ白いきれいな布にぬりのばしてな、痛いところへはったもんらしい。
 今じゃあ、モーチの木も少のうなって、手に入らんようになってな、あんまり作れんそうやが、今でもこのこうやくは使われておって、なかなかよう効くそうや。

文・笠木 由紀子
絵・高橋  錦子

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