奥義 霧しな流 そばの道
奥義 霧しな流 そばの道


第一章◆火遁の術 茹で方編
茹で方に関する一般的な考え方

●包丁下では茹でてはならない

 よく巷では「そばは三たてに限る。」と申します。いわゆる「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」のことですが、この中で鵜呑みにできないのが「打ちたて」の言い伝え。ここにもう一つ古くからの口伝えに「包丁下は茹でてはならない」というのがあるのです。これは『包丁下』という打っても間もないホカホカのそばは茹でるのに適さないという意味ですが、一般的には三十分ほど経ったそばがいいようです。この違いは生地に含まれる空気の量によって生まれます。そばを打つ前には生地を練りますが、この際に空気が含まれてしまうため打った直後のそばは空気を多く含み、鍋に入れた時にうまく沈んでくれないのです。これではただ湯の上で漂うだけで、そばの半分はまだ生のままです。だから、ほぼ三十分程経ったそばが空気が抜けて程よく沈みそしてうまく湯の対流の流れにのって回転し上手に茹で上がるのです。これを「蕎麦の三かえり」といって、そばが沈んで浮いてという動きを三回繰り返せば茹で上がり、といった口伝えがあるくらいです。その逆に打って一日以上経ったそばは、今度は重くなり過ぎてなかなか浮いてこないのです。そばを茹でるのに肝要なことは、ゆっくりと沈み、ゆっくりと浮いてくること、これにはまずそばに含まれる空気の量が第一のポイントと言えるのです。

●そば屋さんの火加減

 おそば屋さんの釜はふつう40リットルくらい水が入る大きなものです。これで大体一回に十人前ほど茹でますから、一人前はほぼ4リットルくらいの湯を使うことになります。水をたっぷり使ってゆっくり大きな動きの中でそばを茹でるのが基本なのですから、家庭でも最低一人前に対して2リットルくらいの水は必要でしょう。
 さて次に火加減ですが、これはあまり強くないほうがよろしいようです。というのも火加減が強すぎると、そばが大急ぎで釜の中を泳ぎ回り、芯が茹で上がらぬうちに表面が削り取られてしまうからです。かと言って、生のそばを投入する瞬間には当然沸騰していなければなりません。なにしろ、冷たい物を入れるのですからお湯の温度はぐっと下がってしまうのです。また、そば屋さんの火は釜の奥の方にだけ強くあたるようになっていて、湯が釜の中を回転するような火加減になっています。真ん中から泡が立つような火加減をおそば屋さんの言葉では「嘘っ火」と呼ぶそうです。
 さてもう一つ、茹で方の口伝えには「蕎麦の煮過ぎは恥じゃない」「煮え前は恥」というのがあります。これはそばは茹でられてから冷水で「洗う」という作業があるからです。しかし素人にとって、生そばの本当に適切な湯で加減を見極めるのはなかなか困難なことなので、実際のところはやや早め、早めに湯から切り上げるのが無難なところではないでしょうか。



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